日本薬剤師会(日薬)が導入を推進している「地域医薬品情報共有システム」は、地域医療における薬剤師の役割を大きく変えることを目指す、重要なIT基盤です。しかし、この地域医薬品情報共有システムは、日本保険薬局協会(NPhA)からの強い反対意見に直面しており、現在、その導入の是非をめぐって大きな議論が起こっています。
私が勤務している調剤薬局チェーンの複数の店舗からも、地域の薬剤師会から地域医薬品情報共有システムの導入を半ば強制されているがどうしたらいいのか、という連絡がありました(しかも導入予定のシステムは薬剤師会によってバラバラ)。
そこで、地域医薬品情報共有システムについて少し調べてみました。
1. 地域医薬品情報共有システムとは
この「地域医薬品情報共有システム」は、地域の複数の保険薬局が調剤した患者さんのお薬の情報や、各薬局が採用している医薬品の在庫状況(調剤実績)を、安全なクラウドサービスに集約し、地域内の薬局間で共有する仕組みです。日薬は、国が薬局に求める「対人業務への転換」と「地域連携の強化」という政策的な要求、特に調剤報酬上の地域支援体制加算などの要件を満たすための必須インフラとして、その導入を強く推進しています。
2. 地域医薬品情報共有システム導入がもたらすメリット
現在、ある薬局で在庫がない特定の医薬品を地域の他の薬局で探す場合、デジタルな仕組みはほとんど機能していません。その結果、医薬品の在庫・採用薬情報の共有は、非常にアナログな方法に依存しています。
主な方法の一つは電話です。ほとんどの場合、薬剤師は近隣の薬局に一つずつ電話をかけ、探している医薬品の在庫があるかどうかを直接確認しなければなりません。これは、特に緊急性の高い医薬品を探す際に、薬剤師にとって大きな負担となっています。
また、地域によっては、定期的に各薬局の「採用薬リスト」を紙やFAXで交換している場合もあります。しかし、このリストはあくまでその薬局がどの薬を取り扱っているかを示すものであり、リストが作成された時点の情報であるため、リアルタイムな在庫の有無までは分かりません。
このように、医薬品の安定供給に不可欠な在庫情報の共有は、依然として非効率な手作業に頼っているのが現状です。
地域医薬品情報共有システムが実現すれば、地域内の薬局の採用薬やデッドストック(使われない不動在庫)の情報を検索・共有できるため、電話などで一軒ずつ在庫を問い合わせる手間が削減され、医療資源の有効活用にもつながります。
3. NPhAが主張する「重大な欠陥」と反対理由
一見するとメリットが多そうな地域医薬品情報共有システムですが、一方で、薬局が多く加盟する日本保険薬局協会(NPhA)は、この地域医薬品情報共有システムの導入プロセスに対し即時凍結と抜本的な見直しを要求しています。NPhAが指摘する問題の核心は、患者の安全という公益性を名目としつつ、薬局経営の公正性や情報の機密性が脅かされている点にあります。
具体的には、第一に、薬局の採用品目や後発品の採用戦略といった営業秘密が、地域医薬品情報共有システムを通じて競合他社に知られ、公正な競争環境が損なわれるリスクです。
第二に、地域医薬品情報共有システムを運営するベンダーや第三者が、薬局から提供されたデータを商業目的で二次利用・販売することを阻止する法的担保がないため、企業の機密情報が意図しない形で利用される懸念があることです。
第三に、個人的にはこれが最も重要と考えますが、データ漏洩などの事故が発生した際の法的責任や補償を誰が負うのかが不明確であり、セキュリティに対するガバナンスが確立されていない点を問題視しています。2023年4月1日からは、薬局を含む医療機関等でサイバーセキュリティ対策が義務化されていることもあり、地域医薬品情報共有システム導入によってセキュリティに関してのリスクが高まることは否めません。
4. 地域医薬品情報共有システムに参加しなかった薬局が受けるデメリット
この地域医薬品情報共有システムへの参加は任意ですが、不参加を選択した薬局は、実質的に大きな不利益を被るリスクがあります。
最大のデメリットは、経営に直結する調剤報酬上の加算算定が困難になるリスクです。この地域医薬品情報共有システムは地域連携の証として機能するため、参加しない薬局は「地域連携に非協力的」と見なされ、地域支援体制加算などの要件を満たしにくくなります。これにより、経営上の収入減につながる可能性があります。さらに、地域薬剤師会が推進する重要事業に非協力的な姿勢と見なされ、情報共有や協力体制から外されるなど、実質的な「村八分」のような扱いを受ける可能性も否定できません。業務効率の面でも、地域の採用薬情報を得るために、依然として電話で一軒ずつ確認する必要があり、効率の低下を招きます。
5. 日本薬剤師会・NPhA対立の着地点は?
国(厚生労働省)は、地域医薬品情報共有システムの必要性は認めつつも、NPhAが指摘する公正性やセキュリティの確保を強く求めています。この対立を解消し、安全で公正な着地点を見出すには、システムを公共性の高いインフラへと昇華させることが不可欠です。
具体的には、データの商用利用リスクがない電子処方箋管理サービスなど、国が管理する公的インフラへの機能統合を進めること。そして、地域医薬品情報共有システム運営に関する意思決定機関に、NPhAを含む公正な第三者や専門家を交えたガバナンスを確立し、データの利用範囲と責任の所在を厳格に定めることが求められています。
6. 電子お薬手帳の教訓と公的インフラ統合の可能性
この「地域医薬品情報共有システム」の議論は、すでに多数の民間事業者が参入している電子お薬手帳の問題と構造的に類似しています。電子お薬手帳もまた、複数のアプリやサービスが乱立した結果、医療機関や薬局が情報を共有する際に手間がかかり、真にシームレスな医療連携に貢献できているかという点で疑問符がついています。
この教訓を踏まえると、地域医薬品情報共有システムについても、地域ごとに異なる民間ベンダーのシステムが普及すれば、将来的に情報の分断や地域間の連携格差を生み出すリスクが高いと言えます。特に県境・市境に位置している薬局では、加入している薬剤師会が違うという理由で近隣の薬局と情報が共有されないリスクがあります。
公的なインフラへの機能統合は、技術的には可能と考えられます。すでに国が運用する電子処方箋管理サービスは、全国の医療機関と薬局を繋ぐネットワークの核として機能しており、このシステムに「調剤実績」や「採用薬情報」の共有機能を段階的に組み込んでいくことが、最も現実的で安全な道筋だと考えられます。
しかし、実現には、電子お薬手帳のケースと同様、すでに地域医薬品情報共有システム開発に投資を行っている既存の民間事業者(ベンダー)の利害調整という大きな壁が存在します。国が公的システムを強化することは、これらの民間事業者の収益基盤を脅かすため、強力な抵抗が予想されます。
したがって、真に「安全で公正な着地点」を実現するためには、国が「データの商用利用を一切認めない」という明確な規制を敷きつつ、既存ベンダーの投資を無駄にしないよう公的システムの開発・運用の一部を公正な競争のもとで委託するなど、強力なリーダーシップと経済的な調整が不可欠となります。このシステムの最終的な行方は、患者の安全と薬局経営の公平性を両立させるための、国の医療IT戦略における指導力の試金石となるでしょう。
